午前中鹿児島市内でレンタカーを借りて、一時間ほどで知覧に到着。
平和会館は、山の中腹にあるのですが、街から会館へと上がっていく坂の途中に、石の灯籠が等間隔で何百本と建てられていて、非常に奇妙な印象を覚えました。
あとで分かったことですが、この灯籠には、特攻隊として散華された1,036の特攻隊員一人ひとりの御霊が、それぞれの灯籠に刻まれているということでした。
会館の見学は、東京に帰る飛行機の時間もあり、わずか一時間しか見られなかったため、展示されている手紙や遺書の5分の1ほどしか読むことができませんでしたが、戦争のために失われた尊い生命の数々を自分の眼で見、感じることで、平和に生活を送ることができることの幸せを、改めて実感しました。
そして、あのような不幸を二度と繰り返さないためにも、その事実を我々日本人が決して忘れてはならないと強く心の奥底に刻みました。
後日談として・・・
先日、茨城県の土浦市にある「霞月楼」でお食事をさせていただく機会がありました。
女将さんの話では、霞月楼は、明治22年に創業し、今年で121年を数える老舗の料亭で、かつては飛行船で世界一周を果たしたツェッペリン伯爵や、霞ヶ浦海軍航空隊の副長だった頃に山本五十六や東郷平八郎も愛用していたという、大変歴史の重みを感じさせる場所でした。
そこでおいしくお食事をいただいていると、二人の仲居さんが部屋の中に二つ折りの大きな屏風を持ってきて見せて下さいました。
その屏風には、霞ヶ浦海軍航空隊に入隊していた若い兵士達が、知覧と同じく特攻隊として予科練に出撃する前夜、この霞月楼で壮行会を行い、隊員一人ひとりが筆で記した決意の言葉や、名前やイラストなどがそのままの形で残されており、知覧で見た17歳〜20歳前後の出撃前日の若い隊員たちの笑顔の写真が重なって見えてきてしまい、思いがけず涙が止まらなくなりました。
たまたまかも知れませんが、この2月に鹿児島と茨城という離れた地で、第二次世界大戦という事実を突きつけらることになったのは、何かの偶然なのでしょうか。。
へび蔵